独身者の足立は、
休みにはカフェに行って本を読む。
既婚者の谷口は、
妻に隠れて浮気を繰り返す。
しかし、二人ともに、そんな行為に、
意味を見いだせないでいる。
何をしているのかと問われても、
結局は何もしていないと返さざるを得ない。
人生を変えたい。
だから、営業に訪れた女性を飲みに誘う。
勇気を振り絞り連絡先を聞く足立。
キスを迫る谷口。
しかし、したたかに拒絶される。
そして、その女性を殺害してしまう。
罪を隠し何事もなかったように、その後の日常生活を送る。
けれど、罪の意識が、二人を徐々に蝕んでゆく。
捨てられなかったスマホ。
そのスマホに導かれるように出会った新興宗教。
これは死んでいった女性の呪いなのか?
そして、その新興宗教で拒絶することを覚えた足立。
自分は何も悪くはない。
自分が苦しいのは、すべて社会が悪いから。
そんな価値観を共有している新興宗教。
お互いの傷を舐めあうために人々が集まる場所。
足立は、そんな場所にバーで働く女性を誘う。
その女性を助けたかったからというよりも、
その女性と繋がりたいと考えたからであろう。
しかし、価値観を共有しないが故に、
足立ともども拒絶されてしまう。
以前の足立は、その価値観を共有できていたのかもしれない。
しかし、拒絶することを覚えたことで、
その新興宗教の中では異質な存在となってしまった。
けれど、新興宗教に通うのは人との繋がりを求めたからであろう。
だから、バーの女性を誘ったのだろう。
しかし、足立が求めていた人との繋がりは、
新興宗教の中にはなかったのだろう。
谷口の家に忍び込み、ベランダから彼らを伺う。
外から見れば、とても幸せそうな一家。
谷口に自分を重ねて見ていた足立。
あれこそが、足立が求めていた人との繋がり、
幸せだったのだろう。
家庭に関心を持てない。
だから、妻は自分に対し、怒り、無視し、
口もきいてはくれなくなった。
家庭に居場所もなくなってゆくと感じ、
居づらい家庭よりは外に出ては浮気を繰り返す。
そして、ますます家庭に対する関心が薄くなる。
そんな悪循環に陥っていた谷口。
犯した罪を隠すのは家族の為。
けれど本当は、それは言い訳。
隠すのは自分の為なのだろう。
警察に追い詰められる谷口。
おそらくは被害者の女性を殺害したのは、
足立ではなく谷口であろう。
しかし、自身を守るために足立に罪を着せる。
これは家族の為。そう自身に言い聞かせる。
妻にも強要された。家族を守ることを。
けれど、心が苦しい。
しかし、この苦しみとは、
生涯付き合わなければならなくなってしまった。
谷口は自分なりに、子供を愛し、妻を愛し、
家庭を大切にしたいとは考えていたようには見えた。
しかし何かをしようとは考えてはこなかった。
そして、今ではもう、すべては手遅れ。
あの事件が起こる前に自分の欲していたものに気づけば、
人生を変えたいなどとは思わなかったかもしれない。
人生を変えたいと思わなければ犯罪を犯すこともなかっただろう。
もしくは、別な選択をして自らの人生を変えようとしたかもしれない。
しかし、もう、手遅れ。取り返すことはできない。
それでも、
これからの人生を生きてゆかなければならない足立と谷口。
それが、とても切なく感じられた映画。
Close.△