生きてるものはいないのか  
2012.08.09.Thu / 15:03 
「ネタバレ」あり。ご注意願います。






人が次々と死んでゆく
だから命や遺言の価値はとても軽くなってしまった。
遺言や最後の言葉は簡単に無視され、
臨終の立ち会いも、おざなりなものとなり、
最後の会話も嚙み合わない。

けれど、
命や遺言の価値とは、終末が訪れる前から、
実は、軽いものだったのではないのか。
私達の会話は終末以前から、嚙み合わず、
相手の事なぞ、深くは理解していなかったのでは。

最後に写される終末の世界。
この世界はとても儚い。
そんな儚さが哀しくも衝撃的な映画。




意味も無く人々が死んでゆく。
だから、命の価値も軽くなる。
死に逝く相手であろうとも、臨終の言葉も他人ごと。
簡単に聞き流されてしまう。
それは臨終を看取ってくれという、最後の願いでさえ。
けれど、それは終末が訪れる前から同じだったのではないのだろうか?
結論が出ない会話、同じことが繰り返される会話。
簡単に聞き流される説明、そして、相手に対する無理解。
映画の冒頭、終末が訪れる前の何気ない会話。
しかし、よくよく考えてみれば、
彼ら、彼女らの会話は会話として成立はしていない。
お互いに対する理解は、とても浅く、同じ質問も何度でも繰り返されている。
自分のしたい事だけが主張され妥協しない、糸口さえつかもうとしない。
理解していたと思っていた友達にさえ、
自分が知らなかった友達が居たことを後で知ることになる。



命は永遠のものではない。人はいつかは死ぬ。
そんな事実を知ったとき、
迷い苦しみ、しかし最後には死の直前までを懸命に生き抜こうとするだろう。
しかし、この映画の登場人物は死がまじかに迫ろうとも、
成り行きに任せて生きている。
死の原因がわからないから、なのかもしれない。
けれど、彼らから必死さ、懸命さは伝わらってこない。


絶望のあまり死にたい人。殺してくれと乞う人。
普通ならば、その願いをかなえる人はいない。
けれど、彼女たちに死を与える少女。
少女は余命幾ばくも無いことを宣言されて生きてきた。
多分、死にたいと願っていたのかもしれない。
だから、彼女たちの願いをかなえる気になったのだろう。

海が見たい。
けれど、本心は、あの日に帰りたい。
すでに存在していない、家族と過ごしたあの幸せな日に。
だから少女からは海に行きたいという必死さは伝わらない。
すでに少女が望んだものが存在していないと知っているから。
すでに少女は精神的に死んでいるのと同じだから。



最後に一人取り残された青年。その孤独感と絶望感。
「生きてるものはいないのか」
けれど、生きているものは彼一人。
しかし、終末が訪れる前から、実はこんな状況だったのではないのか?

終末が訪れる以前から実は人は孤独であった。
なぜなら会話は成り立っていなかったから。
実は、終末が訪れる前から人は孤独も同然だったから。

終末が訪れる以前から実は生きていると言える人は居なかった。
なぜなら、終末が訪れても人々の生き方は変わらなかったから。
実は、終末が訪れる前から死んだも同然だったから。

「生きてるものはいないのか」
それは、今の世界に投げられた言葉なのかもしれない。

この世界はとても儚い。
なぜなら、皆すべて死んだも同然なのだから。
そんな儚さが哀しくも衝撃的な映画。

* テーマ:映画感想 - ジャンル:映画 *
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