ローマ法王の休日  
2014.04.10.Thu / 21:24 
「ネタバレ」あり。ご注意願います。






神に選出された男、のはずであった。
しかし、映画の最後に彼の下した結論。

突然、ローマ法王に選出された男が、
紆余曲折を経て、自身の人生における大切な何かを見つけ、
法王の重責を背負う。
そんなハートフルなコメディ映画かと思っていた。
しかし、違っていた。

一人の人間には限界がある。
無理なことは無理。出来ない事はできない。
だから、彼の決断も尊重すべきだ、
そんなテーマを持った映画のようにも思える。
けれど、それ以上に私が感じてしまったのは、
人が定めた規則や形式の限界。その皮肉。

いくら技巧を凝らしても、いくら形式を重んじても、
それは神の選択などではない。
なぜなら、それは人が運用しているのだから。

描き方がそうであるから仕方がない。
形式ばった宗教に対する皮肉を感じざるを得ない映画。




ローマ法王の選出。
それはコンクラーヴェと呼ばれる方法で選出される。
枢機卿の三分の二が賛成しなければ法王は決まらない。
決まるまでは枢機卿は外出すらできない。
それは、待つ方にとっても、選ぶほうにとっても、根気の要る作業。
そんな忍耐が必要な選出の末にローマ法王に選出されたメルヴィル。
どうか、自分が選ばれませんように。
それは、枢機卿たち全ての偽らざる想い。
しかし、選ばれてしまったメルヴィル。
それは、まるで生贄を選ぶ作業のようにも感じてしまう。
しかし、法王の重責を拒絶し逃亡してしまうメルヴィル。

鑑賞前は、逃亡の最中に、自身の人生の大切なものを見つけて、
ローマ法王の重責を引き受けるというストーリーを想像していた。
しかし、結果には見事に裏切られる。

一人の人間のできることや犠牲に耐える力には限界がある。
そして、それは個々人によって異なる。
人を導くという責務と資質。それに自分はふさわしくないと結論したメルヴィル。
それは、それでありなのだろうし、
個人の意思や自由を尊重すべきだ、というテーマにも繋がるのかとも思った。
けれど、映画全体から感じられるのは、形式ばった儀式に対する皮肉。


コンクラーヴェで選ばれた男は、すなわち神に選ばれた男。しかし、実際は違う。
皆が自分は成りたくは無いと念じて投じた一票。
いくら形式を重んじても、しきたりを尊守しても、それは人が人を選ぶということ。
しかも、自分は成りたくは無いというネガティブな想いの元に。
だから、メルヴィルに神が法王の重責を果たす助けをしてくれる、と周りが諭しても、
自分が成りたくは無いが為の、責任逃れをしているように感じてならない。

他にも、この映画では枢機卿をかなり俗っぽく描いている。
睡眠薬を服用する、トランプやバレーに興じる、観光旅行ができないと不満な顔をする。
やはり、彼らも人間なのだ。

ただ、もしかしたら、この映画のような人たちばかりではなく、
法王の重責に信仰を持って耐えてきた人々。
神の教えを純粋に守ってきた人々。
そんな人々も居るのかもしれないし、
そんな人たちにとっては、この映画はかなり失礼な映画に成るのかもしれない。

けれど、描き方がそうであるから仕方がない。
形式ばった宗教に対する皮肉を感じざるを得ない映画。
* テーマ:映画感想 - ジャンル:映画 *
No.1177 / タイトル ら行 /  comments(0)  /  trackbacks(1) /  PAGE TOP△ 拍手する
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