2014.11.13.Thu / 12:24
「ネタバレ」あり。ご注意願います。
人は極限まで狂うことが出来る。
自ら欲する事の為にだけではなく、
状況や雰囲気に流されただけでも、狂うことができてしまう。
その行く先に自らを滅ぼす結果が待っていたとしても。
映画のラストで発せられる「カット」の声。そこからは、
この映画自身が映画の製作を比喩的に描いたものであると感じてしまう。
金を出すが口も出す映画のことは素人な出資者。
準備も企画も構想の時間も十分には取れなく撮影に突入する。
現場は勢いと気合で修羅場を乗り切る。
時に外部からの圧力が映画撮影の邪魔をする。
それは、あたかも地獄の様相。
それでも、園子温監督は言うのだろう。
地獄でなぜ悪い、と。
なぜなら、そんな地獄を覚悟の上で、
究極の一本をこの世に生み出したいと願っているから。
もしかしたら、そんな地獄の中にこそ、
究極の映画を生み出す狂気が存在するのかもしれない。
総てが死に絶えたラスト。
しかし、皆本懐を遂げたのだろう。
ブラックでシュール、そしてコメディな映画。
けれど、最後に不思議な達成感を感じさせる映画。
すべての役者さんのテンションが半端ない。
それを引き出した園子温監督の、いつもながらの演出。
コミカルでありながら鬼気迫る迫力に圧倒される映画。
映画の最後で発せられる「カット」の掛け声。
その掛け声から、
この映画自身が映画の製作を比喩的に描いたものであると感じてしまう。
金を出すが口も出すヤクザの武藤。
さしずめ映画配給会社と言ったところだろうか。
監督が映画の製作を始める前から映画の構想は決められていて、
短納期という無茶振りを押し付けてくる。
現実世界では、さらに利益、すなわち売れる映画を求めてくるのだろう。
妻が自分の為に戦い、投獄されてしまった。
その間に自分がしていたのは浮気。
そんな後ろめたさが贖罪の気持ちとなって娘が主演する映画を妻に見せたい。
出来上がるであろう映画に求めるものが、映画の監督とは違うというのも、
現実世界では、よくある話なのかもしれない。
映画に登場するのもヤクザ、映画を撮るのもヤクザ。
彼らは映画撮影の為に集められたスタッフのように感じられる。
彼らには究極の一本をこの映画で撮ろう、という志しは無い。
どちらかといえば、敵の組をぶっ潰すことが彼らの目的のはずだ。
けれど、撮影が始まれば、いかなる過酷な状況でも、
自分に与えられた役割を非常なる熱意で推し進める。
その先に自らの身を滅ぼすような事態が待ち受けていたとしても。
目的が彼らを後押ししているというよりも、
現場の雰囲気や熱意に感化されてしまったように感じられる。
運命なのか、偶然なのか。
この撮影に加わることになったファック・ボンバーズの面々。
実質的に監督を務めている平田。
彼はこの映画における、園子温監督の分身なのだろう。
彼と彼の旧知の面々だけが、この映画を究極の一本にしようと意気込んでいる。
それもよくある話なのかもしれない。
この映画作製に巻き込まれてしまった男、橋本。
橋本を巻き込んだ武藤の娘、ミツコ。
映画作製が始まる前は、二人に恋愛感情は存在しないように感じられた。
橋本にすまないという感情はミツコにはあったのかもしれないし、
それを悟られないように隠していたのかもしれない。
しかし映画作製という修羅場が始まると、とても親密になる二人の関係。
主演男優や敵方の役者がヒロインに魅かれて行く。
それも修羅場が産んだ狂気や熱気が、そうさせているように感じる。
映画撮影の途中で乱入してくる警察。
これは、現実世界では外部からの圧力のように感じられる。
映画の内容を規制する団体や映画配給会社。
そんな人々が出来上がりつつある映画の完成を邪魔し、
映画の質を結果として落としてしまうのだろう。
映画撮影を終えてフィルムや音声テープを回収する平田。
その平田がスタッフにかける言葉。
「音、いただきます。」
「撮れてるぞ。」
それは映画撮影で消耗しきったスタッフに掛ける労いの言葉なのだろう。
とても過酷であろう映画撮影の現場。
であるならば、それを改善することが必要だ。
けれど、園子温監督は、こう考えているのだろう。
地獄でなぜ悪い、と。
そんな地獄を覚悟の上で、究極の一本をこの世に生み出したいと願っているから、
と考えているのかもしれない。
もしかしたら、そんな地獄や覚悟が生み出す狂気や熱意こそ、
究極の映画を生み出せると考えているのかもれない。
総てが死に絶えたラスト。
しかし、皆本懐を遂げたのだろう。
ブラックでシュール、そしてコメディな映画。
けれど、最後に不思議な達成感を感じさせる映画
さしずめ映画配給会社と言ったところだろうか。
監督が映画の製作を始める前から映画の構想は決められていて、
短納期という無茶振りを押し付けてくる。
現実世界では、さらに利益、すなわち売れる映画を求めてくるのだろう。
妻が自分の為に戦い、投獄されてしまった。
その間に自分がしていたのは浮気。
そんな後ろめたさが贖罪の気持ちとなって娘が主演する映画を妻に見せたい。
出来上がるであろう映画に求めるものが、映画の監督とは違うというのも、
現実世界では、よくある話なのかもしれない。
映画に登場するのもヤクザ、映画を撮るのもヤクザ。
彼らは映画撮影の為に集められたスタッフのように感じられる。
彼らには究極の一本をこの映画で撮ろう、という志しは無い。
どちらかといえば、敵の組をぶっ潰すことが彼らの目的のはずだ。
けれど、撮影が始まれば、いかなる過酷な状況でも、
自分に与えられた役割を非常なる熱意で推し進める。
その先に自らの身を滅ぼすような事態が待ち受けていたとしても。
目的が彼らを後押ししているというよりも、
現場の雰囲気や熱意に感化されてしまったように感じられる。
運命なのか、偶然なのか。
この撮影に加わることになったファック・ボンバーズの面々。
実質的に監督を務めている平田。
彼はこの映画における、園子温監督の分身なのだろう。
彼と彼の旧知の面々だけが、この映画を究極の一本にしようと意気込んでいる。
それもよくある話なのかもしれない。
この映画作製に巻き込まれてしまった男、橋本。
橋本を巻き込んだ武藤の娘、ミツコ。
映画作製が始まる前は、二人に恋愛感情は存在しないように感じられた。
橋本にすまないという感情はミツコにはあったのかもしれないし、
それを悟られないように隠していたのかもしれない。
しかし映画作製という修羅場が始まると、とても親密になる二人の関係。
主演男優や敵方の役者がヒロインに魅かれて行く。
それも修羅場が産んだ狂気や熱気が、そうさせているように感じる。
映画撮影の途中で乱入してくる警察。
これは、現実世界では外部からの圧力のように感じられる。
映画の内容を規制する団体や映画配給会社。
そんな人々が出来上がりつつある映画の完成を邪魔し、
映画の質を結果として落としてしまうのだろう。
映画撮影を終えてフィルムや音声テープを回収する平田。
その平田がスタッフにかける言葉。
「音、いただきます。」
「撮れてるぞ。」
それは映画撮影で消耗しきったスタッフに掛ける労いの言葉なのだろう。
とても過酷であろう映画撮影の現場。
であるならば、それを改善することが必要だ。
けれど、園子温監督は、こう考えているのだろう。
地獄でなぜ悪い、と。
そんな地獄を覚悟の上で、究極の一本をこの世に生み出したいと願っているから、
と考えているのかもしれない。
もしかしたら、そんな地獄や覚悟が生み出す狂気や熱意こそ、
究極の映画を生み出せると考えているのかもれない。
総てが死に絶えたラスト。
しかし、皆本懐を遂げたのだろう。
ブラックでシュール、そしてコメディな映画。
けれど、最後に不思議な達成感を感じさせる映画