フューリー  
2015.04.30.Thu / 12:13 
「ネタバレ」あり。ご注意願います。






新兵が厳しい現実を知り、
一端の兵士に育っていく。

戦争で行われている悲劇、悲惨さ。
そこには、どこにも正義は無い。

戦車隊が繰り広げる戦闘のリアルさ。緊迫感。

しかし、どれもが中途半端感が否めない。
やはり劇場で見なければ成らない映画であったのか?
中途半端感が、どうしても拭えない映画。



フェーリーと名付けられた戦車に搭乗している男たち。
そのリーダーである、ドン・コリアー。
生き残るためには彼に従うのが一番の得策。
皆から、とても信頼されている男。
フェーリーに新米兵士がやって来る。
銃を撃ったことはない。タイプを打つのが仕事だったから。
フェーリーに乗る兵士に比べれば戦争の非情さに染まっていない青年、ノーマン。

最初の戦闘で敵を撃つのをためらってしまったノーマン。
新米ならば仕方の無いことかもしれない。
けれど、それは皆にとっては命取り。
死体を撃つこともできない。

理想は平和だが、歴史は残酷だ。
それは何が正しいことなのか戦場では容易には分らないということ。
一人前の兵士になる為に降伏した兵士を撃つ。
平和な時であれば、間違った行いだ。
しかし、戦場で、しかも皆で生き残る為には、必要な事。
個人の主義主張も変えなければならない。皆の為に。生き残る為に。

市街地に入り、隠れ住んでいた娘たちに出会う。
お前が抱かないのなら俺が抱く。
それは生きているうちに楽しめ、ということだろう。
若いならば、経験が無いのならば、なおさらだ。
平和な時ならば生き急ぐことも無い。
けれど、明日には死ぬかもしれない。

お前は良い奴だ。
それが分るトラビスも昔は良い奴だったはずだ。
戦争が人を変えてしまう。
だから、嫌な奴になってしまったのだ。
そう変わらざるを得なかったのだろう。


戦場での価値観、平和時での価値観。
そこには大きな隔たりが存在し、
やむを得ない行為や決断とはいえ、戦場に正義は無い。



歩兵を率いての敵陣地攻略。その後の市街戦。
そして、ティーガーとの死闘。
どれもが大迫力で緊迫感が半端ない。
しかし、ラストの戦いでは無敵すぎるフューリー。


5人対300人。
果たして、なぜ、コリアーは退却という選択肢を取らなかったのか?
友軍の為? ナチが憎いから? 戦車を見捨てられなかったから?
それまでに描かれていたコリアーの性格からは、
もっと現実的な選択をするものと感じてきた。
だから彼の行動の理由がよく分らない。

奮戦するフューリーの乗員たち。
けれど、なかなか弾には当たらない。
やられると分っているのに突撃を繰り返すドイツ軍兵士。
指揮官がいなくて指示する者がいないからなのか?


戦場を丸ごと切り取って描いたような映画。
その描写がとてもリアル。
だからこそ、ラストの攻防の描き方が惜しい。
中途半端感が拭えない映画。




* テーマ:映画感想 - ジャンル:映画 *
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