2001.12.31.Mon / 19:42
「ネタバレ」あり。ご注意願います。
もう、かつての彼が何者であったかを分かるものはいない
1人を救うために8人が危険になる
戦争の常識ならば、効率の悪い作戦
あえて、戦争の常識に抗おうとした時
無くした自分が取り戻せるはずであった
「earn it, earn this」
生き残ったその幸運を享受して欲しい
生き残ったのであれば自分らしく生きて欲しい
それが、戦争で変わらざるを得なかった男の最後の願い
ライアンと同時に、無くした自分の生き方を探した男の話。
戦場とは、すべての価値観が逆転する特異な場所です。
そこでは、人を殺せば殺すほど誉められ、
罪のない平民から略奪をしても、罪には問われません。
その最たるものの一つに次のような言葉があります。
「戦争に勝つ秘訣は、味方を効率よく殺すこと。」
人が死なずに勝てれば、それに越したことはありません。
しかし戦争をする限りにおいては、
必ず犠牲者が出ます。よって、それを最低限に抑えることが必要です。
平時においては、「10人のために1人を犠牲にする。」という問題は、
決断すら難しいのですが、戦場では、それを積極的に実施しなければなりません。
よって、頭の中では、常に「どこそこの隊は犠牲になってもらおう。」
という考えをしなければなりません。
この映画に出てくるミラー大尉も、この「戦争の価値観」にはまっています。
「100人を助けるために10人を殺した。そう考えなければやっていけない。」
「戦争の価値観」により、自分の生き方や考え方を誤魔化さなくては、
やっていけないのでしょう。
そのストレスの表れが「手の震え」に象徴されていると思いました。
しかし、彼のもとに、まったく理不尽な命令が下されます。
「1人を救うため、8人を危険にさらす」任務です。
この理不尽な命令も、「1人を救う(ために、8個の道具を使う)。」
と考えれば、理不尽でなくなります。
もしかしたら、()の中身は、意識していないかもしれません。
遠い本国にあって、戦争の現実など、知ったことではないのでしょう。
しかし、ミラー大尉にとっては、
今まで自分を誤魔化すために使用してきた「戦争の価値観」とは
まったく正反対の任務を遂行しなければなりません。
「その男が、切れない電球を発明するくらいの価値のある男ならいいのだが、」
当然ですが、そのようなことで命の重みは変わりません。
でも、そうでも考えないとやってゆけなかったのでしょう。
しかし、その考えが次第に変わります。
「自分の職業は、高校教師だ。」
「故郷の町で高校教師というと、たいていの人間は納得した。」
「しかし、戦場では、誰も自分の職業がわからない。顔まで変わったのだろう。」
「女房も今の自分をわからないかもしれない。」
「しかし、彼を探し、帰還させたら、胸を張って帰還できる。」
「自らの危険を省みず、他人を救う。」
死と隣り合わせの戦場においては、特異な生き方でしょう。
しかし、彼を救い生きて帰れることができたのなら、、、
彼を救うことは、現在の自分を救うことであり、
戦争に来る前の生き方を取り戻すことなのです。
しかし、現実は甘くありませんでした。
「無駄にするな。しっかり生きろ。」
これは、ミラー大尉の最後の言葉です。
自分の死を無駄にせず、しっかりと生きて欲しい
とそのように理解できます。(最初は私もそう感じた。)
しかし、今まで述べてきたような観点から考えると、
若干違うではないかとも思えます。
「Earn this, Earn it」
英語では、このようになっています。直訳すると、
「これを得よ」となりますが、「これ」が問題です。
私には、「生き残った幸運」ではないかと思いました。
「生き残り、平穏な世界に戻れるのであれば、
それを十分享受して欲しい。そして、自分らしい生き方をして欲しい。」
なのではないのでしょうか?
それは、戦争により、自らの価値観、生き方を狂わされ、
死んでから、やっと手の震えが止まった男の
最後の望みだったような気がしました。
「戦争に勝つ秘訣は、味方を効率よく殺すこと。」
人が死なずに勝てれば、それに越したことはありません。
しかし戦争をする限りにおいては、
必ず犠牲者が出ます。よって、それを最低限に抑えることが必要です。
平時においては、「10人のために1人を犠牲にする。」という問題は、
決断すら難しいのですが、戦場では、それを積極的に実施しなければなりません。
よって、頭の中では、常に「どこそこの隊は犠牲になってもらおう。」
という考えをしなければなりません。
この映画に出てくるミラー大尉も、この「戦争の価値観」にはまっています。
「100人を助けるために10人を殺した。そう考えなければやっていけない。」
「戦争の価値観」により、自分の生き方や考え方を誤魔化さなくては、
やっていけないのでしょう。
そのストレスの表れが「手の震え」に象徴されていると思いました。
しかし、彼のもとに、まったく理不尽な命令が下されます。
「1人を救うため、8人を危険にさらす」任務です。
この理不尽な命令も、「1人を救う(ために、8個の道具を使う)。」
と考えれば、理不尽でなくなります。
もしかしたら、()の中身は、意識していないかもしれません。
遠い本国にあって、戦争の現実など、知ったことではないのでしょう。
しかし、ミラー大尉にとっては、
今まで自分を誤魔化すために使用してきた「戦争の価値観」とは
まったく正反対の任務を遂行しなければなりません。
「その男が、切れない電球を発明するくらいの価値のある男ならいいのだが、」
当然ですが、そのようなことで命の重みは変わりません。
でも、そうでも考えないとやってゆけなかったのでしょう。
しかし、その考えが次第に変わります。
「自分の職業は、高校教師だ。」
「故郷の町で高校教師というと、たいていの人間は納得した。」
「しかし、戦場では、誰も自分の職業がわからない。顔まで変わったのだろう。」
「女房も今の自分をわからないかもしれない。」
「しかし、彼を探し、帰還させたら、胸を張って帰還できる。」
「自らの危険を省みず、他人を救う。」
死と隣り合わせの戦場においては、特異な生き方でしょう。
しかし、彼を救い生きて帰れることができたのなら、、、
彼を救うことは、現在の自分を救うことであり、
戦争に来る前の生き方を取り戻すことなのです。
しかし、現実は甘くありませんでした。
「無駄にするな。しっかり生きろ。」
これは、ミラー大尉の最後の言葉です。
自分の死を無駄にせず、しっかりと生きて欲しい
とそのように理解できます。(最初は私もそう感じた。)
しかし、今まで述べてきたような観点から考えると、
若干違うではないかとも思えます。
「Earn this, Earn it」
英語では、このようになっています。直訳すると、
「これを得よ」となりますが、「これ」が問題です。
私には、「生き残った幸運」ではないかと思いました。
「生き残り、平穏な世界に戻れるのであれば、
それを十分享受して欲しい。そして、自分らしい生き方をして欲しい。」
なのではないのでしょうか?
それは、戦争により、自らの価値観、生き方を狂わされ、
死んでから、やっと手の震えが止まった男の
最後の望みだったような気がしました。