嗤う伊右衛門
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ストーリーや登場人物の心情の変化で見せる映画というよりは、
人間がいかに他人とかかわっていくのか、
人が人をどう想うか、それをどう受け入れるのか、
そういった人間関係そのもので見せる映画という印象がしました。
1人の人間への感情が、さまざまな想いとなって密やかに混在する、
そんな不思議な印象をもった映画でした。
父を殺して以来、笑わない伊右衛門。まさに世捨て人。
外界から隔てられた蚊帳の中こそが、唯一の居場所。
顔の半分が崩れながらも、それを隠さないお岩。
とても強く、正しく、美しい。
でも、しかしというか、やはりというか、
二人ともに、この世をあきらめ切れずに生きている。
この世のすべての美しきものを否定した喜平。
自分が理解できる価値観こそがすべて。
そして、人はみな卑しい存在であるはず。
しかし、実は、母親が恋しかった。
復讐を果たそうとする直助。
しかし、復讐の対象は実は自分自身。
娘を愛するが故に、娘の顔を毒薬で崩してしまった岩の親。
喜平から、娘を守りたかったのか、いや、
娘を、誰にも渡したくはなかった。
善意で岩と伊右衛門を引き合わせた又市。しかし、
醜いから、わしが醜いから、おまえさん、、、
それは、母親の供養、いや謝罪なのだろう。
「恨めしや・・」
恋しいと同時に、恨めしい。
自らを不幸にしてもかまわないほどに愛してしまった伊右衛門が恨めしい。
忘れたいのに、忘れることが出来ないほどに愛してしまった伊右衛門が恨めしい。
裏切ったはずの自分を、それでも好いてくれている伊右衛門が恨めしい。
そんな、なにもかもが、伊右衛門のすべてが恨めしい。
最後には、死の世界で結ばれる選択をしたお岩と伊右衛門。
この世での逃避行を選ぶことも出来たはです。
しかし、そうはしませんでした。
この世では、自分たちを理解できない多くの人がいる。
自分たちを恐れ、否定し、そして壊そうとする人もいる。
そんな人が存在しない、二人だけのあの世でしか、
幸せを掴むことが出来ないのなら、
純愛とは、かくも厳しく、それ自身、とても難しい。
そして、様々な感情が表裏いったいで密やかに存在しているこの世は、
それだけで、生きてゆくのは大変なのかもしれません。
- [2004/10/15 16:31]
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