マイノリティー・レポート  
2003.01.03.Fri / 23:35 
「ネタバレ」あり。ご注意願います。

彼が変えたのは
予知された未来と
生きながらに死んでいたような現在

息子への愛が深いゆえに
生きながら死んでいた
けれど、息子への愛が深いゆえに
現在を変えることができた

そして3人と1人で始める新しい生活
1人はいつも心の中にいる


最初の感想は、「どうも中途半端な映画」と思えましたが、
あとから考えると、スピルバーグらしい、「ハートフルな物語」
のように印象が変わりました。
まあ、このように感想を書こうとしなければ、このような考えにいたっていなかったかも知れませんが、、

私には、この映画において、印象的な二つのシーンがありました。
ひとつは、「トムが殺人を起こさないシーン」、
もうひとつは、「クレアが、いまだ生きている息子を語るシーン」です。
家族愛とは、本来であれば、未来を生きる糧になりうるものです。
映画の冒頭、トム・クルーズは、生きながらに死んでいるような状態、
未来に一歩踏み出せないでいる状態でした。
これは、皮肉なことに家族に対する愛情が深いためだからです。
しかし、そんな彼でも、憎い犯人(本当はそうではないが)を目の前にして、
殺さない決断をしました。映画では明確に理由を語っていはいません。
しかし、きっと、「息子はそれを望んでいないから」と考えたのではないかと、
私には思えました。
そして、クレアが語る、「いまだ生きている息子」の話。
これで、彼らは新しい一歩を踏み出す決意をしたのではないのでしょうか?
そして、映画のラストシーン。トムの妻のおなかには、子供がいました。
これはとても象徴的なシーンです。過去と決べつし、未来を生きる、、、
多分、心の中では生きている息子とともに、、、
つまり、この映画のなかのひとつのテーマである「未来は変えられるか?」は、
当然、Yesであり、ここでいう「未来」とは、プリコグの予知した未来、すなわち
トムが殺人を犯す未来だけではなく、生きながらに死んでいたような人生をも
変えうることができることを示しているように感じました。

そのように考えると、プリコグの3人も、最後には社会から隔離されたではなく、
安住の地、自分らしく生きられる場所を見つけたのではないかと、私は考えたい。
それが、社会や警察から提供されたものであっても、、
実際、彼らにとって私たちと一緒に生きることは、私たち以上に彼らに負担になる
行為ではないのでしょうか。

最後に、「マイノリティー」の意味合いですが、
映画を見る前には、私には、「トムの、自分は無実だ、との叫び」なのではないかと、思いました。
というのも、この映画の原作者である、ディックは、「自己喪失」「自己崩壊」をよくテーマに作品を作ると聞いています(詳しくは知りません。すいません。)。
そこには、マイノリティーとして、自己を強く否定する、
絶対的なメジャーである「世界」や「社会」があるわけです。
(世界や社会が自分の存在を否定するわけです。)
この映画でも、トムの日常生活や人格は、犯罪予防システムによって、強固に否定されますが、
このあたりの描写が、アクション映画としてのみ表現されており、ちょっと残念だったと思いました。
* テーマ:映画感想 - ジャンル:映画 *
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