幸せに暮らしてきた、一見平凡な男が、
実は秘められた過去を持ち、
それに向き合わなくてはいけなくなった。
いろいろな映画で何度も使われ続けたストーリーです。
ありきたりといえるのかも知れません。
このような映画では、主人公は最後に家族に温かく迎えられるとか、
刑に服して、自らの身を清算するとかが、常套なのですが、
あえて、答えは見せない映画。
だからこそ、いろいろなことを考えさせられる映画。
犯してしまった過去は清算できないのか?
暴力ですべては解決はできない、だが、
避けられないのであれば、力でしか解決できないのであれば、
その時、人はどうすべきなのだろうか?
はたして、正当防衛ならば許されるのか?
ならば、正当防衛と暴力の境とは?
愛する家庭のために振るった暴力で、
逆に愛する者たちから拒絶される苦しさ。
そして、暴力は連鎖する。
今までの生活を一変させる。その恐ろしさ。
それでも、過去から逃れられない。
秘められた過去が明らかになった時、
懸命に守ってきたはずの家庭は、
もろくも崩れてしまう。
一見するとトムの暴力は正当防衛。
しかし、その身のこなしの見事さ。
そして、目に宿る明らかな殺意。
やはり、彼は人殺しなのか?
解決方法として殺人を選んでしまう彼は、
やはり、人殺しジョーイなのか?
いじめられっ子の息子のジャック。
暴力を避けるために、自分を卑下し、
争いごとから身をかわしていた。
それは、正しい行いなのだろう。
しかし、相当の忍耐を抱え込むジャック。
父の正当防衛に触発され、
ついには、いじめっ子をぶちのめす。
大切な父や恋人を罵倒されたから、それを守りたかったから。
暴力では何も解決しないはずなのに。
正当防衛ならば、許されるのか?
しかし、果たして、それは正当防衛なのか?
最愛の夫であるトムを受け入れていいのだろうか?
自分の知っているよき家庭人、トム。
そして、自分の知らない殺人鬼、ジョーイ。
どちらも同じ一人の男。
その狭間で揺れ動くエディー。
階段でのセックスでは、トムを受け入れたかに見えて、
その直後に拒絶する。
自分でもどうしていいのか分からない、
どうしようもない気持ち。
兄に、「もう終わりにしたいんだ、どうやったら償える?」
と問いかけて、やはり、暴力でしか解決しないことを悟る。
その哀しさ。
暴力を振るってまで守り通した家庭に帰ってきたトム。
彼のすがるようなまなざし。
頭では分かっていても、生理的に人殺しは受け入れがたい妻のエディー。
ラストの彼らの苦悩がとても痛い。
トムとジョーイを、見事に演じ分けた、
ヴィゴの演技が素晴らしい映画でした。