2006.06.15.Thu / 21:58
「ネタバレ」あり。ご注意願います。
ネタバレ満載なので、
下を読むのは、映画鑑賞後にお願いします。
まったく、とんでもない映画です。
勢いだけで押す映画であり、しかし、
緻密に組み立てられているストーリー。
あっと驚くどんでん返しであるにもかかわらず、
爽快感とは程遠い、おぞましい真相。
野蛮であり、しかし繊細。
非情の様でいて、深い愛憎と哀しみ。
面白い映画でありながら、再度見るには勇気が必要で、
なかなか、人には進めることが出来ない、
とんでもない映画です。
復讐に燃える二人の男。
妻を、家族を、自分自身の十五年を奪われたオ・デス。
最愛の人を奪われたイ・ウジン。
人は、どんなひどい事でも、
どんなに、おぞましい事でもやってしまうのだろう。
それは、お金の為、憎悪の為、復讐の為、愛する人の為に。
想像力が無い人は、いくらでも残酷になりうる。
しかし、これは逆なのではないのか?
人は想像力があるから、いくらでも残酷になりうる。
でも、別な痛みが、その人のまともな感覚を麻痺させているから、
いくらでも、残酷になることができるように感じた。
この、すさまじさ、描いてはいけないものでも、描ききってしまうのは、
やはり、韓国映画だからなのだろうか?
そして、いろいろな意味が込められたイ・ウジンの復讐。
「オ・デスは口数が多すぎるんです。」
決してもらして欲しくはなかった秘密。
しかし、オ・デスは簡単に友人に告げてしまう。
そして、簡単に忘れてしまう。
それは他人事だから。
「笑う時は世界と一緒、泣く時はお前一人。」
笑いは簡単に共有できる。
しかし、哀しみは、決して共有できない。理解もされない。
それも、やはり他人事だから。
しかし、他人事が他人事でなくなった時、
オ・デスは、その秘密の重さを、その哀しみを、
骨身に染みて知ることになる。
「砂粒であれ岩の塊であれ、水に沈むのは同じだ」
姉が死んだのは自分の責任だ。そんなことは知っている。
しかし、犠牲という名の祭壇に挙げられる血が多ければ多いほど、
自分の乾きも癒されるのだろう。
「俺たちはすべてを知って愛し合った。お前たちはどうだ」
オ・デスがミドの正体を知ってしまった時、
イ・ウジンに懇願したのは、娘の命ではなく、愛する人の命。
だからこそ、知ってしまった後にも関わらず、
その関係を断ち切ることは出来なかった。
催眠術にまで頼り、二人の関係を選んだオ・デス。
姉と寝たんだとイ・ウジンを責めた言葉が、
そのまま自分に突き刺さることになろうとは、、、
「私は獣にも劣る人間ですが、
生きる権利はあるんじゃありませんか?」
許されない二人の関係。それでも、愛する人とともに生きたい。
この問いかけは、
世の中に生存を許して欲しいという、背徳者が背負った十字架。
イ・ウジンはきっと、自分の最大の理解者を作り上げたかったのだろう。
自分が、どんなに姉をいとおしく想ったのか。
自分が、どんなに孤独を感じて生きてきたのか。
それを他人に理解してもらいたかったのだろう。
自分の哀しみは、ここまでしなければ、他人には理解してもらえないのか?
深い哀しみの果てに、哀れみさえも感じる映画。
どんなに、おぞましい事でもやってしまうのだろう。
それは、お金の為、憎悪の為、復讐の為、愛する人の為に。
想像力が無い人は、いくらでも残酷になりうる。
しかし、これは逆なのではないのか?
人は想像力があるから、いくらでも残酷になりうる。
でも、別な痛みが、その人のまともな感覚を麻痺させているから、
いくらでも、残酷になることができるように感じた。
この、すさまじさ、描いてはいけないものでも、描ききってしまうのは、
やはり、韓国映画だからなのだろうか?
そして、いろいろな意味が込められたイ・ウジンの復讐。
「オ・デスは口数が多すぎるんです。」
決してもらして欲しくはなかった秘密。
しかし、オ・デスは簡単に友人に告げてしまう。
そして、簡単に忘れてしまう。
それは他人事だから。
「笑う時は世界と一緒、泣く時はお前一人。」
笑いは簡単に共有できる。
しかし、哀しみは、決して共有できない。理解もされない。
それも、やはり他人事だから。
しかし、他人事が他人事でなくなった時、
オ・デスは、その秘密の重さを、その哀しみを、
骨身に染みて知ることになる。
「砂粒であれ岩の塊であれ、水に沈むのは同じだ」
姉が死んだのは自分の責任だ。そんなことは知っている。
しかし、犠牲という名の祭壇に挙げられる血が多ければ多いほど、
自分の乾きも癒されるのだろう。
「俺たちはすべてを知って愛し合った。お前たちはどうだ」
オ・デスがミドの正体を知ってしまった時、
イ・ウジンに懇願したのは、娘の命ではなく、愛する人の命。
だからこそ、知ってしまった後にも関わらず、
その関係を断ち切ることは出来なかった。
催眠術にまで頼り、二人の関係を選んだオ・デス。
姉と寝たんだとイ・ウジンを責めた言葉が、
そのまま自分に突き刺さることになろうとは、、、
「私は獣にも劣る人間ですが、
生きる権利はあるんじゃありませんか?」
許されない二人の関係。それでも、愛する人とともに生きたい。
この問いかけは、
世の中に生存を許して欲しいという、背徳者が背負った十字架。
イ・ウジンはきっと、自分の最大の理解者を作り上げたかったのだろう。
自分が、どんなに姉をいとおしく想ったのか。
自分が、どんなに孤独を感じて生きてきたのか。
それを他人に理解してもらいたかったのだろう。
自分の哀しみは、ここまでしなければ、他人には理解してもらえないのか?
深い哀しみの果てに、哀れみさえも感じる映画。