ヘルシンキには
大きな森があるのだろうが
日本には
おいしいおにぎりが
あるのだ
とても愛しくて切なくなるような映画。
スローライフを描いた映画かもしれないが、
それ以上に、人の強さを描いた映画のように感じた。
人の強さとは、いろいろあるのかもしれないが、
常に自分の中に保つことが出来る、生きる姿勢というのも、
その一つなのかもしれない。
涼やかなたたずまいの中に、凛とした強さを持つ映画。
閑古鳥が鳴いているヘルシンキのかもめ食堂。
しかし、サチエさんは、慌てず騒がず。
毎日まじめにやって それでもダメなら、
その時はその時、 やめちゃいます、 でも大丈夫。
自分がいいと思ったものは、
きっと、いつかは人に受け入れられる。
受け入れられなかった時に、慌てて、騒いで、
自分にあわないことをしても、どうしようもない。
でも、きっと受け入れてくれるはずなのだ。
その雄大さと美しさには圧倒される。
だから日本人は、せこせことしか生きられないのか。
日本では普通に生活してたら、あんな自然は、お目にかかれないから。
そんな、うらやましくも悲しい気持ちに、なりかけるが、
どっこい日本には、フィンランド人も、そのおいしさを認めてくれる、
おにぎりがある。
スローライフでもなんでもいい。
自分の生き方をするには心のよりどころが必要なのかもしれない。
いつもそれを忘れないサチエさんには、ゆるぎのない強さを感じる。
水泳を自分のペースで泳ぎ続ければ、
いつかはゴールにたどりつける。
それをわかっているからこその強さなのだろう。
生きていれば人生はいろいろある。
癒される事のない過去の傷。
人生にぽっかり空いてしまった隙間。
それは、日本人もフィンランド人も変わらない。
そんな時こそ生きる姿勢が問われるのだろう。
憂鬱や悲しみで心が塞ぎそうになる時、
そんな時には、まずは、はらごしらえが肝心なのだ。
食事をしても何も変わらないなんて、
生活の基本を忘れている奴らの言い草だ。
自分を見失わずに生きるサチエさんには、
お父さんの、おにぎりこそが生きる基本なのだろう。
そんな人々が食堂に集う。
食堂というネーミングが、とてもあっている。
それは、人が気楽に立ち寄れて、
憩いの一時を過ごすことが出来る場所。
いらっしゃい、と、誰でも受け入れてくれる素敵な場所。
「人は変わってゆくもの」
しかし、サチエさんの生きる姿勢にゆるぎはないのだろう。
いつまでも、あの場所で暖かく出迎えてくれそうな気がする。
変わっていく人々を、しかし、変わらない笑顔と、いらっしゃいで、
出迎えてれるのだろう。
人生の最後の晩餐には招待状が届くかもしれない。
あの店はあなたに合っている。
私も、確かにそう感じました。
今のままの自分でもいいんだよ、
肝心なことさえ忘なければ、いつか何かが見えてくるのだからと、
背中をそっと押してくれるような映画。
・かもめ食堂|映画情報のぴあ映画生活