グエムル -漢江の怪物- 

「ネタバレ」あり。ご注意願います。




この映画は、
見る人により様々な感想を持つ映画のように感じる。
環境汚染。それをもたらした権力の横暴さ、その理不尽さ。
それにより翻弄される小市民の悲劇。
しかし、彼らの滑稽な振る舞い。
彼らが真面目であれば真面目であるほどに、滑稽に見え、
誰にも相手にされないのも、やむを得ない様にも見える。
所詮、他人の悲劇は、
個人の興味の対象や、金儲けの手段でしか、
ありえないのかもしれない。
家族の再生の映画の様でいて結果は最後まで見せない。
しかし、私が一番感じたのは、
懸命に求めても、得られないものがこの世にはあるということだ。
得られない理由は様々だろう。
だが、得られない人生を人は生きていかなくてはならないのだ。
そんな、やり場のない哀しみ。怒り。届かない絶望。
しかし、人の、したたかさ。力強さ。
そんな、得られない想いが詰まった映画。

理不尽な汚染により生まれたグエルム。
そして、理不尽にも連れ去られてしまった愛娘、ヒョンソ。

自らの過ちを隠蔽するため、
ウィルス感染疑惑を持ち出すアメリカ。
それに踊らされる韓国政府、警察。
被害者のことなど考えない、彼らの身勝手さ。
そして、パク一家を助けようとする者は誰もいない。

泣き叫ぶパク一家を撮影しようとするマスコミ。
やはり、他人の悲劇は、個人の興味の対象にしか、
なり得ないのか?
その一方で、娘の無事を訴えるパク一家。
しかし、彼らのことは誰も信じない。
けれど、携帯電話を口にくわえ、
ゴミ箱に捨てる演技を見せられては、
信じて、味方になろうということの方が無理とも思える。

ついに病院を抜け出し、
娘を助けるために、道具を整えるパク一家。
地獄の沙汰も金次第、そして、
弱みがあれば、どこまでもタカられる。
世間は冷たい。所詮は他人ごと。
愛娘のためとはいえ、全財産を奪われた父親。

ついにグエムルと対峙するパク一家。
しかし、所詮は素人の集まり。
銃弾を使い果たし、父親は殺されてしまう。
娘の手を間違えたことを、あれほど後悔していたカンドゥだか、
銃弾の数を間違えたことは、それほどに後悔していないように見える。
父親が、最後に見せた顔には、カンドゥを許そう、
という表情も見て取れる。
それ以上に大きな愛情をも見て取れる。
だからなのかもしれない。

父親が死に、離散してしまうバク一家。
しかし、その絆は深くなっていったような気がする。
一家の連係プレイにより、ヒョンソの居場所に近づいてゆくカンドゥ。

しかし、ときすでに遅く、ヒョンソは帰らぬ人となる。
最後に見せる3人のグエルムへの復讐。
やり場のない哀しみ。怒り。絶望。
まさに、ヒョンソを弔うがごとく、グエルムを殺してゆく。
けれど、観客である私達は、本当の怒りの矛先が、
グエルムではないということを、十分に知っている。
だからこそ、このシーンのやり場のなさは、半端ではない。

死の直前の娘の様子はどうだったのか?
生き残った少年から、少しでも娘のことを聞きたい。
それは、失ってしまった者を少しでも取り返そうとするがごとく。
そんな風にして、残されたものは、
失ってしまった者の想いを引き継いでゆくのだろう。

コメント

ヒョンソの最期は意外

こんにちは!
私が観た韓国映画は全てそうでしたが、ユーモアの使い方が独特ですね。
この作品には家族愛、社会風刺、人間の愚かさなどが内包されてるけど、
笑いにくるまれていて、表立っては出てきてないんですよね。
でも笑っているうちに、ヤンさんの書いている
やり場のない哀しみ怒り絶望を味わう事になるという、
軽い作品のようでいて、実は中身のあるものだと思いました。

ラストは、カンドゥと少年が食事をしているシーンで、
ニュースでグエムル騒動の顛末を流しているテレビを、
『そんなの関係ねえ』と無関心に、足で消してしまうんですよね。
余韻の残るラストでした。

ユーモアが独特

YANさん、こんばんわ。

韓国映画のユーモアは確かに独特ですね。
よく人間を観察しているかと思えば、
こんな発想で人を笑わそうとするなんて、と、
脱帽することがよくあります。

ラストの余韻も独特でしたね。
グエルムの顛末を語るテレビよりも、やはりご飯。
それでも、確か、外で、物音がすると、
銃を持ち出していたような、、、
大切なものを失った者同士が擬似的であっても家族を形作り、心を通わし、外的から身を守る。当然、自分たちを守ってくれない者には無関心。そんな印象を持ちました。


それじゃ、また。

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