硫黄島からの手紙
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愛する家族が一日でも長く平和に生活する為に、
死を覚悟する兵士たち。
しかし、また同時に愛する家族の為に、
生き延びたいと願う矛盾。
これは明らかに後者が本音なのであろう。
だが、自分の本音を隠し死地に赴く兵士たち。
しかし、そんな兵士たちの心情をあざ笑うかのごとく、
玉砕を強い、無駄死にを迫る軍隊。
人は何の為ならば死を覚悟出来るのか。
そこに、個人と軍隊とでは大きな隔たりがあるのだろう。
それは、国に洗脳され世界を十分には生きてきてはいない上官と、
平和な生活を過ごしてきた一般兵士との間でも同様だ。
兵士たちが死地に赴く為、
自らを納得させる為の想いさえ踏みにじり、
最後まで兵士の命を利用しつくすという、
戦争が持つ不条理を静かに深く描いた映画。
戦争が始まる前までは、パン屋を営み平和に暮らしいた西郷。
愛しい妻。まだ見ぬ娘。
それらは西郷の宝であり、この世を生きる意味と価値なのだろう。
敗戦濃厚な硫黄島に赴任した栗林中将。
すでに連合艦隊機動部隊は壊滅しているという事実。
自分に課せられた任務の困難さを痛感し、
生きては帰れない覚悟を決める。
劇中、彼が家族に送る手紙には硫黄島の事は記されてはいない。
記されているのは、栗林中将が過ごしたアメリカでの平和な日々。
過去に送った手紙の回想なのか、軍規で任務のことは書けないからなのか?
しかし、それには栗林中将の想いが綴られている。
栗林中将の手紙は、最後には、アメリカ人の友達と別れ、一人寂しく、
だが、愛する家族の元へ帰る話で締めくくられている。
本当は、アメリカ人と殺し合いなどはしたくは無いのであろう。
そして、家族の下に帰りたいと願っているのだろう。
しかし、自らの立場では生きて帰ることは不可能。
ならば、家族のために死のう。それが彼の本音なのだろう。
伊藤中尉は、まだ、自分の命の価値と未来の可能性を知らない。
生きていれば、いつかは、アメリカ人が、
自分たちとなんら変わらない感情を持っていることを知ったのかもしれない。
生きていれば、いつかは、自分の人生の宝にめぐり合い、
自分の命の尊さを知ることになったかもしれない。
しかし、伊藤中尉は、そのことを知るほどに、世界を生きてはいない。
だから命を投げ捨てることも簡単に出来るのたろう。
逆に、未来の可能性に気づいてしまった清水。
まだ知らない世界を生きたいと願い、
しかし、伊藤中尉と同様に、
敵が同じ感情を持った人間であることを知らないアメリカ兵士に殺されてしまう。
未来の可能性を知らないで死ぬことも悲劇であろう。
しかし、自分の命の価値を知って、しかし、死ななければならないことは、
もっと悲劇なのかもしれない。
この映画と「父親たちの星条旗」は硫黄島2部作と呼ばれている。
どちらも、戦争継続の為に、兵士たちの純粋な想いを、
国や軍隊が踏みにじる戦争の不条理が描かれている。
アメリカの兵士も日本の兵士も想いは同じ。同じ感情を持った人間だ。
攻め込んでいる国と攻め込まれている国の兵士という意味で、
若干の差異はあるものの、なんら変わりはないように感じる。
攻め込んでいる国の兵士は、戦場をともにする仲間の為に。
攻め込まれている国の兵士は、残してきた家族の為に。
彼らは、イデオロギーや国よりは、目の前にいる人々を選んだのだろう。
しかし、国や軍隊がそれらを踏みにじることも、また同様だ。
戦争に疲れていたアメリカでは、英雄がでっち上げられ、
敗戦濃厚な日本では、玉砕が強いられる。
そして兵士たちは、最後の最後まで、その命を利用しつくされる。
どこかで見たようなシーンや設定、人物造詣ではあるものの、
クリント・イーストウッドは、
寄り添うようかのように、兵士たちの無念さを、深く静かに描いている。
兵士たちが死地に赴く為、
自らを納得させる為の想いさえ踏みにじり、
最後まで兵士の命を利用しつくすという、
戦争が持つ不条理を静かに深く描いた映画。
- [2008/03/20 23:30]
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