エリ・エリ・レマ・サバクタニ 

「ネタバレ」あり。ご注意願います。




恋人を救えなかかった自分の音楽に対する絶望。
死しか待ってはいない自分の未来に対する絶望。
そして、身の周りはすべて、絶望が支配する世界、
そして、荒涼とした死の世界。
しかし、世界のすべてが死と絶望に支配されているように思えても、
実は、それは世界が私たちに見せている一面にすぎない。
世界は雑多で様々な側面を持っている。
世界が持つ一面に捕われ、心が死に向かってしまう、人の弱さ。
逆に、捕われる前に、雑多な世界に触れ、
気持が向くベクトルを変え、生きてゆく強さ。
絶望的なウィルスを前に価値観を変えて生きる。
そんな命の強さ、弱さを描いた映画。



ミズイとアスハラは自分たちの音楽を奏で、気が向いた時に食事を取る。
彼らは、やりたいことだけをして、生きているように見える。
しかし、私には彼らは怯え、逃げているように感じてならない。
それは、レミング病が蔓延する死の世界から。
そして、恋人を救えなかったという過去から。
さらに、自身もレミング病であるという事実から。
死の世界を散策し、音の原材を集めて回るミズイとアスハラ。
それは、この世界の音を集め、世界を再構築する作業なのだろう。

彼らの音楽はレミング病の発症を抑制することができる。
しかし、それは解決にはならない。
「音楽は、ウィルスのえさにすぎない。」
音楽を与えつつづけても、いつかは発症する。
そんな事実を再認識してしまったアスハラは、
この世に絶望し、死を選んでしまう。

レミング病にかかり、その不安を周りに毒づくハナ。
しかし、彼女の本心は生きたいと願っている。

「病気の自殺と本気の自殺、どうやって見分けるんだ?」
ミズイのこの言葉は、きっと死んでいった恋人に向けられた疑問なのだろう。
エリコは果たして自ら死を選んだのか?
それともレミング病の為なのか?
レミング病に感染している、していないは問題ではないのだろう。
要は、本人に直す気があるのか、絶望して未来を諦めるのか、
そこが問題なのだろう。
果たして彼女の死は、いったいどちらだったのだろうか?
これから自分の音楽を聞かせようとしているハナは、
いったい、どちらの選択をするのだろうか?


恋人の死を乗り越え、再びレミング病を抑制するための演奏を行うミズキ。
音の洪水は、しかし、再構築された世界なのだろう。
その雑多な音の洪水にさらされ、きっとハナは、
世界の大きさや、その可能性に、無意識のうちに心を広げたのだろう。
その後のハナは、とてもおだやかなになったように感じる。

死ぬことを考えたことも無い、ナビさん。
この映画の中ではとても異質な雰囲気を放つ。
それは、彼女の持つ人生の経験、雑多な価値観、そして、たくましさ。
そんな命の力強さが放つ雰囲気なのだろう。



「Eli, Eli, Lema Sabachthani?」
大切な人が死に、自分だけ取り残される。
そんな時、神に問いたくなる。
「神よ、何ゆえに我を見捨てたもうや。」
しかし、見捨てられたわけではない。
今では思うことができる。
死んでしまった人とでも、一緒にいるような気がする。
以前より、身近に感じることができる。

死んでしまったとしても、覚えている、忘れない。
それが、たとえ幻のような儚い存在であったとしても。
そう想うことで、自らの絶望も癒されていくのだろう。


最後に。
この映画は難解な映画です。
ただ、単にノイズにも近い音楽を垂れ流している映画では、
ないと思います。
全ての映画について言えることなのですが、
上記も私なりの勝手な解釈です。
当然ですが、他にも様々な解釈があると思います。
しかし、私には、
雑多な価値観を持つ命のたくましさを感じた映画。

エリ・エリ・レマ・サバクタニ@映画生活

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