2009.10.29.Thu / 21:03
「ネタバレ」あり。ご注意願います。
絶望を前にして、死を欲した青年。
絶望を前にしても、生きる希望を求めた少女。
少女を操るために創られたはずだった物語。
しかし、その物語は少女により命を与えられ、
希望をもたらす物語へと昇華される。
絶望の中にあってさえ、
明るさを失わない少女の希望を求めた力が、
最後には物語と青年に生きる力を与える。
しかし、この映画は最後には奇妙な展開を見せる。
青年の、その後は語られない。
少女は、青年の影により、過酷な現実を乗り越える力を得る。
青年の影にお礼を言いながら。
物語が持つ力。想像力の持つ力。
そんな力が少女の未来を開いてゆく。
そんな力を描いた映画。
オレンジの木から落ちて入院しているアレクサンドリア。
橋から落ちて入院しているスタントマン、ロイ。
二人ともに、絶望という深い穴に落ちこんでいる。
アレクサンドリアを操るために創作された叙事詩。
それは、ロイの現実と絶望を色濃く反映した物語。
最初はロイだけの話であったのだろう。
しかし、次第に二人の物語になってゆく。
アレクサンドリアが、この物語に惹かれた理由。
それは、アレクサンドリアもまた、絶望の中に居たからだ。
父親を殺され、住居を燃やされ、馬も奪われた。
だから、愛する者を奪われた男たちの復讐に魅かれたのだろう。
圧倒的に美しい映像と衣装。
そのあまりの美しさには驚きすら感じる。
それは物語の語り部が持つ力の所以では無いのだろう。
その美しさは、その話を聞く少女の想像力の所以であろう。
ロイが語る物語のクライマックス。
アレクサンドリアの願いも空しく、次々と死んでゆく登場人物たち。
俺は、そんなに強くは生きられない。
君が望んでいるほどに、俺は良い大人ではない。
だから、ハッピーエンドもあきらめてくれ。
それは、アレクサンドリアの純粋な気持ちを裏切ってしまった、ロイの悲痛な叫び。
ロイにとっては、アレクサンドリアの期待も希望も、
とてもまぶしくて、重たいものだったのだろう。
だからアレクサンドリアには諦めて欲しかったのだろう。
登場人物たちが死ぬたびに打ちのめされるアレクサンドリアの心。
しかし、アレクサンドリアはあきらめない。
最後まで、ロイにハッピーエンドを求める。
そして遂に、その気持ちに応えるロイ。
最後に共に見る映画、ロイの活躍シーン。
しかし、それを誰も気付かない。それは、アレクサンドリアでさえ。
退院後、映画にロイを発見するアレクサンドリア。
しかし、果たしてそれは本当にロイなのか?
そして、ロイのその後は映画では語られない。
それはとても奇妙な展開のように感じる。
ロイが生きる力を得てこそ、この映画もハッピーエンドと成り得るからだ。
だから、セオリー的には、ロイの活躍を明示的に描くべきだと思える。
しかし、この映画は敢えてそこを描かないのだろう。
それは、観客である私たち一人一人に委ねられているのかもしれない。
アレクサンドリアには、確かにロイが見える。
それはアレクサンドリアの想像力の所以である。
ならば、我々にも見えるのではないのだろうか。想像力を羽ばたかせれば、、、
決して豊かとはいえないアレクサンドリアの生活。
しかし、生活以上に彼女の心はとても豊かであり、
その豊かさが、彼女を、そして周りの人をも救ってゆくだのろう。
そんなことをも感じさせるラスト。
物語が持つ力。想像力の持つ力。
そんな力を描いた映画。
それは、ロイの現実と絶望を色濃く反映した物語。
最初はロイだけの話であったのだろう。
しかし、次第に二人の物語になってゆく。
アレクサンドリアが、この物語に惹かれた理由。
それは、アレクサンドリアもまた、絶望の中に居たからだ。
父親を殺され、住居を燃やされ、馬も奪われた。
だから、愛する者を奪われた男たちの復讐に魅かれたのだろう。
圧倒的に美しい映像と衣装。
そのあまりの美しさには驚きすら感じる。
それは物語の語り部が持つ力の所以では無いのだろう。
その美しさは、その話を聞く少女の想像力の所以であろう。
ロイが語る物語のクライマックス。
アレクサンドリアの願いも空しく、次々と死んでゆく登場人物たち。
俺は、そんなに強くは生きられない。
君が望んでいるほどに、俺は良い大人ではない。
だから、ハッピーエンドもあきらめてくれ。
それは、アレクサンドリアの純粋な気持ちを裏切ってしまった、ロイの悲痛な叫び。
ロイにとっては、アレクサンドリアの期待も希望も、
とてもまぶしくて、重たいものだったのだろう。
だからアレクサンドリアには諦めて欲しかったのだろう。
登場人物たちが死ぬたびに打ちのめされるアレクサンドリアの心。
しかし、アレクサンドリアはあきらめない。
最後まで、ロイにハッピーエンドを求める。
そして遂に、その気持ちに応えるロイ。
最後に共に見る映画、ロイの活躍シーン。
しかし、それを誰も気付かない。それは、アレクサンドリアでさえ。
退院後、映画にロイを発見するアレクサンドリア。
しかし、果たしてそれは本当にロイなのか?
そして、ロイのその後は映画では語られない。
それはとても奇妙な展開のように感じる。
ロイが生きる力を得てこそ、この映画もハッピーエンドと成り得るからだ。
だから、セオリー的には、ロイの活躍を明示的に描くべきだと思える。
しかし、この映画は敢えてそこを描かないのだろう。
それは、観客である私たち一人一人に委ねられているのかもしれない。
アレクサンドリアには、確かにロイが見える。
それはアレクサンドリアの想像力の所以である。
ならば、我々にも見えるのではないのだろうか。想像力を羽ばたかせれば、、、
決して豊かとはいえないアレクサンドリアの生活。
しかし、生活以上に彼女の心はとても豊かであり、
その豊かさが、彼女を、そして周りの人をも救ってゆくだのろう。
そんなことをも感じさせるラスト。
物語が持つ力。想像力の持つ力。
そんな力を描いた映画。