2010.06.10.Thu / 19:39
「ネタバレ」あり。ご注意願います。
父親との絆にのみ、存在した至福。
それ以外の幸福は偽物として拒否した男。
そんな男が、父親と隔離されてしまった時、
人生の宿命を悟ったのだろう。
そんな悟りを彼の心に培ったのは、
人がもつ弱い心や無知故の、不条理な差別。
そんな差別に翻弄され、この世界の幸福を拒否し、
しかし、最後までお互いを愛し求めた親子を描いた映画。
前半は謎を追うミステリ、しかし、後半暴かれる悲惨な真実。
見事な脚本により、見事な演技を見せる俳優陣。
日本の四季の美しさ。列車での旅の独特な雰囲気。
現場は原点とばかりに泥臭い捜査を続ける刑事たちの執念。
そして、我々にとっては、憶測することはできても、
深く理解することなどはできないであろう、犯人の心理。
それを直接でなく客観的に描いたのは大正解だったと感じる。
この映画は、ハンセン氏病への故無き差別を扱っている。
当然差別には反対の立場で描かれてはいるが、
逆に、この作品により、知名度があがり、差別を助長してしまったという、
悲しい事実もあるようだ。
よって念の為に映画のラストの字幕を引用したい。
「ハンセン氏病は、医学の進歩により特効薬もあり、
現在では完全に回復し、社会復帰が続いている。
それを拒むものは、
まだ根強く残っている非科学的な偏見と差別のみであり、
本浦千代吉のような患者はもうどこにもいない」
故無き差別により、流浪の旅を強いられた親子、本浦千代吉と秀夫。
差別は、このような幼き子供にも流浪の旅を強いてしまうのか。
酷い差別を味わい、普通の生活に憧れ、
しかし、秀夫は父との生活の中で、本当の幸せを感じたのだろう。
周りの仕打ちが酷ければ酷いほどに、その想いは強くなったはずだ。
亀高を訪れた時、彼ら親子に転機が訪れる。
それまでは、酷い差別しかしなかった人々。
しかし、亀高の駐在警官である三木謙一は、二人を暖かく迎え入れる。
けれど、それが結果的には二人を引き裂いてしまうことになる。
善意で二人を引き裂かざるを得なかった三木。
ここに、この世界の矛盾、不条理が存在するのだろう。
多分、秀夫は三木と共に暮らせば幸せにはなれたであろう。
しかし、それは秀夫が求めていた幸せとは、違うもの。
家出をした理由を、今西刑事は、放浪癖とか、父を追い求めた、
といってはいるものの、私には秀夫が三木が与えようとした幸せを、
拒否したように思えてならない。
秀夫が三木を嫌っていたわけではない。しかし、
秀夫は三木が与えてくれるであろう幸せを拒否して、
父親との幸せな思い出を守るため、泣く泣く家出をしたのだろう。
「幸せなんてものがこの世にあるのかい。
もともと、そんなもの無いのさ。
無いから、みんな、そんな影みたいなものを追いかけているのさ。」
映画には描かれないが、三木の家を出て、
一人流浪の旅を続けたであろう、秀夫。
隔離されてしまった父親。その父親に面会をすることの意味。
もう二度と父には会えない。いや、会わない。
自分が欲している幸せも、この世にはない。
徐々に大人になっていく過程で英良は、
そんな宿命を悟らざるを得なかったのだろう。
英良が自分の息子を欲しがらなかった理由。
それは、自分の素性が分かってしまうことを恐れたから。
けれど、それに加えて、もう一つ別な理由があるように私には感じられた。
それは、父が居ない子供を生んで欲しくは無かったから。
そんな子供が幸せになれるとは到底思えない。
それは、今の自分みたいに。
英良が三木を殺害した理由。
それは、自分の素性が分かってしまうことを恐れたから。
けれど、それに加えて、もう一つ別な理由があるように私には感じられた。
元はといえば、父を自分から引き離したのは三木。
そんな三木が自分を父に再会させようとする矛盾。
そして自分は、すでに父親を捨ててしまっている。
いまさら会えるわけなどない。
所詮、この世界には幸福などはない。
それが自分に背負わされている宿命。
そう絶望している英良。
そんな想いが父親に会うことを強く拒否させたように思える。
しかし、本心では父親に会いたかったのだろう。
「そんなことは決まっとる。
彼は今、父親に会っている。
彼にはもう、音楽の中でしか父親に会えないんだ。」
それは、父親も同様だ。
それでも親子は再会を拒否してしまった。
この映画では英良の想いは直接には描かれない。
推測はできるが、しかし、私たちに彼らの想いは完全に理解はできない。
結局のところ、親身になって世話をした三木や
執念で二人の足跡を追いかけた今西刑事ですら、
その深い想いは分からない。
しかし、親子二人の悲惨な宿命。
これを二度と起こしてはならないことだけは、
皆が理解できるのではないのだろうか?
差別に翻弄され、
この世界の幸福から拒否され、逆に幸福を拒否し、
しかし、最後までお互いを愛し求めた親子を描いた映画。
差別は、このような幼き子供にも流浪の旅を強いてしまうのか。
酷い差別を味わい、普通の生活に憧れ、
しかし、秀夫は父との生活の中で、本当の幸せを感じたのだろう。
周りの仕打ちが酷ければ酷いほどに、その想いは強くなったはずだ。
亀高を訪れた時、彼ら親子に転機が訪れる。
それまでは、酷い差別しかしなかった人々。
しかし、亀高の駐在警官である三木謙一は、二人を暖かく迎え入れる。
けれど、それが結果的には二人を引き裂いてしまうことになる。
善意で二人を引き裂かざるを得なかった三木。
ここに、この世界の矛盾、不条理が存在するのだろう。
多分、秀夫は三木と共に暮らせば幸せにはなれたであろう。
しかし、それは秀夫が求めていた幸せとは、違うもの。
家出をした理由を、今西刑事は、放浪癖とか、父を追い求めた、
といってはいるものの、私には秀夫が三木が与えようとした幸せを、
拒否したように思えてならない。
秀夫が三木を嫌っていたわけではない。しかし、
秀夫は三木が与えてくれるであろう幸せを拒否して、
父親との幸せな思い出を守るため、泣く泣く家出をしたのだろう。
「幸せなんてものがこの世にあるのかい。
もともと、そんなもの無いのさ。
無いから、みんな、そんな影みたいなものを追いかけているのさ。」
映画には描かれないが、三木の家を出て、
一人流浪の旅を続けたであろう、秀夫。
隔離されてしまった父親。その父親に面会をすることの意味。
もう二度と父には会えない。いや、会わない。
自分が欲している幸せも、この世にはない。
徐々に大人になっていく過程で英良は、
そんな宿命を悟らざるを得なかったのだろう。
英良が自分の息子を欲しがらなかった理由。
それは、自分の素性が分かってしまうことを恐れたから。
けれど、それに加えて、もう一つ別な理由があるように私には感じられた。
それは、父が居ない子供を生んで欲しくは無かったから。
そんな子供が幸せになれるとは到底思えない。
それは、今の自分みたいに。
英良が三木を殺害した理由。
それは、自分の素性が分かってしまうことを恐れたから。
けれど、それに加えて、もう一つ別な理由があるように私には感じられた。
元はといえば、父を自分から引き離したのは三木。
そんな三木が自分を父に再会させようとする矛盾。
そして自分は、すでに父親を捨ててしまっている。
いまさら会えるわけなどない。
所詮、この世界には幸福などはない。
それが自分に背負わされている宿命。
そう絶望している英良。
そんな想いが父親に会うことを強く拒否させたように思える。
しかし、本心では父親に会いたかったのだろう。
「そんなことは決まっとる。
彼は今、父親に会っている。
彼にはもう、音楽の中でしか父親に会えないんだ。」
それは、父親も同様だ。
それでも親子は再会を拒否してしまった。
この映画では英良の想いは直接には描かれない。
推測はできるが、しかし、私たちに彼らの想いは完全に理解はできない。
結局のところ、親身になって世話をした三木や
執念で二人の足跡を追いかけた今西刑事ですら、
その深い想いは分からない。
しかし、親子二人の悲惨な宿命。
これを二度と起こしてはならないことだけは、
皆が理解できるのではないのだろうか?
差別に翻弄され、
この世界の幸福から拒否され、逆に幸福を拒否し、
しかし、最後までお互いを愛し求めた親子を描いた映画。