2011.01.08.Sat / 19:04
「ネタバレ」あり。ご注意願います。
自分にとっては初めての女性。
そして、自分の人生を変えてしまった、素晴らしい女。
しかし、それと同時に、
恐ろしくも許されざる犯罪を犯した人。
男は、この大きな矛盾に戸惑い悩む。
いったい彼女とどのように接すればいいのだろうか、、、、
犯してしまった罪は、果たして何によって赦されるのか?
誰が裁けることができるのだろうか?
罪と赦しを描いた映画。
感受性豊かで、プライドが高い女性、ハンナ。
彼女が隠している秘密と過去のためなのか、
とてもミステリアスな印象を受ける女の人。
最初は体の関係が始まりだったのかもしれない。
しかし、確かにマイケルは純粋にハンナを愛していた。
ハンナの詩を書き、人の前でキスをする。
マイケルは彼女を誇りにすら感じていたように思える。
しかし、ハンナはマイケルの前から姿を消し、
次にマイケルがハンナに出会ったのは、戦犯を裁く裁判の中。
マイケルはハンナを救うことが出来たはずだった。
しかし、それを実施しないマイケル。
最初は、彼女の、秘密を守りたい、という意志を尊重したように思えた。
けれど、映画のラスト。マイケルはハンナに問う。
「過去のことを考える?」
「じゃ、学んだものは?」
この問いかけは、長い間、マイケルがハンナに問い掛けたくて、
しかし、問い掛けることが出来ない疑問であったのだろう。
マイケルがハンナに手紙を書かない理由も、
出所するハンナを積極的には迎え入れない理由も、
マイケルにとっての赦し難いハンナの犯罪のためなのだろう。
そして、それは、素晴らしいと信じていた女性の、赦し難い犯罪。
マイケルが妻や娘を遠ざけているのは、この人間不信が原因なのだろう。
果たしてハンナは、自身の犯罪をどのように考えていたのだろうか?
教会で涙を流すハンナからは、あの犯罪を深く悔いているように思える。
それは、マイケルが読み聞かせた物語に涙を流すハンナからも、
ハンナが感受性豊かで想像力に溢れた女性であり、
過去の罪を理解し、悔いているであろうことは容易に想像がつく。
けれど、裁判の場では、自己の責務として、やむを得ず実施した、と主張する。
このシーンからは、ハンナは罪の意識を持っていないようにも感じられる。
しかし、
「あなただったら、どうしましたか?」
このハンナの問い掛けに応えられない人々が道徳的に彼女を裁くことは、
出来ないのではないのだろうか、と思えてならない。
マイケルの大学の教授曰く、
社会を動かしているのは道徳ではない。社会を動かしているのは法だ。
裁判は、悪いことだったか、で裁くのではなく、合法だったか、
で判決が下されるべきだ。それも現在の法ではなく、その時代の法によって。
しかし、人は人を殺すことが悪いことであると、道徳的に知っている。
この台詞に照らすと、あの裁判の場は、
どちらかといえば道徳的、感情的に流されているようにも感じられる。
そしてマイケルのハンナを想う気持ちも、それは同じだ。
最後にマイケルは、かつて収容所にいた女性、メイザー夫人を訪ねる。
月並みな言葉だが、罪は消えない。
服役しても深く後悔しても死人は生き返らない。
だから、彼女はハンナの金を受け取らなかったのだろう。
しかし、たとえ、罪が消えないとしても、
日々、自らが犯した罪に、いったい今の自分になにができるのか、
それを考え、実践してゆくことが大切なのだろう。
だから、ハンナはお金を貯めたのだろう。マイケルは娘に、この話をするのだろう。
罪は確かに消えない。
だからといって、その人自身のすべてが赦されないわけではない。
缶だけを受け取った、メイザー夫人。
罪は憎み赦さなくても、
悩み苦しんだであろうハンナ自身を受け入れたように思える。
マイケルが、もっと早くこんな境地に立つことが出来れば、
ハンナは自殺せずに済んだかもしれない。
けれど、若かったマイケルには難しかったのだろう。
罪が深く重ければ、当事者でない人間が、道徳的に、赦したり、裁いたりする事は、
とても難しいのだろう。
犯してしまった罪は、果たして何によって赦されるのか?
罪と赦しを描いた映画。
しかし、それを実施しないマイケル。
最初は、彼女の、秘密を守りたい、という意志を尊重したように思えた。
けれど、映画のラスト。マイケルはハンナに問う。
「過去のことを考える?」
「じゃ、学んだものは?」
この問いかけは、長い間、マイケルがハンナに問い掛けたくて、
しかし、問い掛けることが出来ない疑問であったのだろう。
マイケルがハンナに手紙を書かない理由も、
出所するハンナを積極的には迎え入れない理由も、
マイケルにとっての赦し難いハンナの犯罪のためなのだろう。
そして、それは、素晴らしいと信じていた女性の、赦し難い犯罪。
マイケルが妻や娘を遠ざけているのは、この人間不信が原因なのだろう。
果たしてハンナは、自身の犯罪をどのように考えていたのだろうか?
教会で涙を流すハンナからは、あの犯罪を深く悔いているように思える。
それは、マイケルが読み聞かせた物語に涙を流すハンナからも、
ハンナが感受性豊かで想像力に溢れた女性であり、
過去の罪を理解し、悔いているであろうことは容易に想像がつく。
けれど、裁判の場では、自己の責務として、やむを得ず実施した、と主張する。
このシーンからは、ハンナは罪の意識を持っていないようにも感じられる。
しかし、
「あなただったら、どうしましたか?」
このハンナの問い掛けに応えられない人々が道徳的に彼女を裁くことは、
出来ないのではないのだろうか、と思えてならない。
マイケルの大学の教授曰く、
社会を動かしているのは道徳ではない。社会を動かしているのは法だ。
裁判は、悪いことだったか、で裁くのではなく、合法だったか、
で判決が下されるべきだ。それも現在の法ではなく、その時代の法によって。
しかし、人は人を殺すことが悪いことであると、道徳的に知っている。
この台詞に照らすと、あの裁判の場は、
どちらかといえば道徳的、感情的に流されているようにも感じられる。
そしてマイケルのハンナを想う気持ちも、それは同じだ。
最後にマイケルは、かつて収容所にいた女性、メイザー夫人を訪ねる。
月並みな言葉だが、罪は消えない。
服役しても深く後悔しても死人は生き返らない。
だから、彼女はハンナの金を受け取らなかったのだろう。
しかし、たとえ、罪が消えないとしても、
日々、自らが犯した罪に、いったい今の自分になにができるのか、
それを考え、実践してゆくことが大切なのだろう。
だから、ハンナはお金を貯めたのだろう。マイケルは娘に、この話をするのだろう。
罪は確かに消えない。
だからといって、その人自身のすべてが赦されないわけではない。
缶だけを受け取った、メイザー夫人。
罪は憎み赦さなくても、
悩み苦しんだであろうハンナ自身を受け入れたように思える。
マイケルが、もっと早くこんな境地に立つことが出来れば、
ハンナは自殺せずに済んだかもしれない。
けれど、若かったマイケルには難しかったのだろう。
罪が深く重ければ、当事者でない人間が、道徳的に、赦したり、裁いたりする事は、
とても難しいのだろう。
犯してしまった罪は、果たして何によって赦されるのか?
罪と赦しを描いた映画。