2012.04.26.Thu / 20:42
「ネタバレ」あり。ご注意願います。
命の重さ。
自分が大切に思う人の命は重く、
それ以外の人のそれは、とても軽い。
何が正義なのか、悪なのか。
それは、個人の価値観によって決まり、
個々人によって、それは異なる。
他人からは認めてもらいたいのに他人は認めない。
それは、自分の事だけが大切だから。
他人を否定して自己を確立させているから。
幼さ故に、彼らは限りなく断絶している。
だから、お互いに理解もできない。
当然、相手を思いやることなど決してできはしない。
彼らの、
個人と個人との絶望的な断絶が印象的な映画。
そして、
中学生は得体の知れない存在だと、思っていた。
しかし、打たれ弱く、自己中心的で、
興味が無いことにはトコトン無関心。
自分が大切。だから嫌なことは自らが傷つかないように避ける。
実は底が浅く、思い通りに操ることすら可能なのだ。
この映画で描かれている、中学生の底の浅さが印象的な映画。
重くなりがちなテーマ。
通常の映画に比べて、多用されている一人芝居やモノローグ。
しかし、最後まで飽きさせない、娯楽映画としては見事な作品。
映画の冒頭に映されるクラスの風景。
誰もが自分の事にしか関心はない。
彼らはきっと、自分自身の大切なものが貶められ、奪われれば逆上するだろう。
けれど、つまらないと感じたことには振り返らない。
だから、他人の痛みは見ないふりをする。
クラスメイトがエイズに感染したのか、しないのか。
そんなことはどうでもいい。
それよりは自分が感染しないようにすることのほうが重要なのだ。
母親に認めてもらいたくて人を殺そうとした少年、修哉。
クラスで苛められ孤立しているにもかかわらず、
しかし、登校を続けることができたのは、
他人を見下し、自分の才能と能力にプライドを持っているから。
美月にマザコンであることを指摘された時、
修哉は美月を殺してしまう。それは自分のプライドを守る為。
他人を見下し、自身に強いプライドを持っているから。
修哉にとっては、一番の理解者で傍に居てくれた人。
しかし、痛い事実を指摘された結果、その命は軽くなってしまったのだろう。
他人に認められたくて殺人を完遂した少年、直樹。
エイズの恐怖の為に引き篭もっていた。
けれど直樹は彼なりに生というものを実感し始めたのだろう。
体が汚くなるのは生きている証拠。その感じ方が面白い。
しかし、それ以上に彼の頭にあったのは、
他人がどう、自分を見ているか。
お前は、できそこない。
母親は殺人者を育ててしまったことを否定したかっただけなのだろう。
それも母親にとっては自分自身を守る為の行為。
けれど、直樹には、今まで肯定しかしなかった母親までもが、
自分を否定した、と感じてしまった。
だから、殺してしまった。自分を守る為に。
担当した生徒たちに娘を殺され復讐を宣言する女教師、森口。
森口の目的は復讐なのか、生徒の更生なのか?
私には、とても純粋な、そして、とても残酷な復讐に見えた。
それは、相手の一番大切で弱いところをえぐる残酷さ。
途中で嗚咽する姿、
それは全てを失った悲しみからなのか、
復讐に走らざるをえない自身の救われない魂を嘆いてのことなのか、、、
しかし、すぐに「バカバカしい。」
そして最後に、「なーんてね。」
これらも彼女の行為が復讐であることを強く印象付ける。
しかし、もし、そこに森口の教育的配慮があるとしたならば、
それは、自身を守る為に、
見ないふりをしてきたものに向き合わせようとさせたこと。
けれど、それには大きな犠牲が伴ったのだが、、、
空気が読めない熱血教師、ウェルテル。
生徒の表面を信じて騙されてしまった青年。
かたや生徒達の本質、
利己的で狭い世界しか知らない彼らの本質を見抜き、
操る事もできた森口。
果たして、どちらか理想的な教師なのか。
私には、理想を打ち破られたウェルテルが、
この映画の最大の被害者の様に感じられる。
教師にとっては生徒の発言を信じるなということが、
教育現場を知ると言う事なのだろうか?
自身を守るために殺人を犯してしまった中学生。
幼さ故に、彼らは限りなく断絶している。
だから、お互いに理解もできない。
当然、相手を思いやることなど決してできはしない。
自分の事しか考えない。
個人と個人との絶望的な断絶が印象的な映画。
クラスで苛められ孤立しているにもかかわらず、
しかし、登校を続けることができたのは、
他人を見下し、自分の才能と能力にプライドを持っているから。
美月にマザコンであることを指摘された時、
修哉は美月を殺してしまう。それは自分のプライドを守る為。
他人を見下し、自身に強いプライドを持っているから。
修哉にとっては、一番の理解者で傍に居てくれた人。
しかし、痛い事実を指摘された結果、その命は軽くなってしまったのだろう。
他人に認められたくて殺人を完遂した少年、直樹。
エイズの恐怖の為に引き篭もっていた。
けれど直樹は彼なりに生というものを実感し始めたのだろう。
体が汚くなるのは生きている証拠。その感じ方が面白い。
しかし、それ以上に彼の頭にあったのは、
他人がどう、自分を見ているか。
お前は、できそこない。
母親は殺人者を育ててしまったことを否定したかっただけなのだろう。
それも母親にとっては自分自身を守る為の行為。
けれど、直樹には、今まで肯定しかしなかった母親までもが、
自分を否定した、と感じてしまった。
だから、殺してしまった。自分を守る為に。
担当した生徒たちに娘を殺され復讐を宣言する女教師、森口。
森口の目的は復讐なのか、生徒の更生なのか?
私には、とても純粋な、そして、とても残酷な復讐に見えた。
それは、相手の一番大切で弱いところをえぐる残酷さ。
途中で嗚咽する姿、
それは全てを失った悲しみからなのか、
復讐に走らざるをえない自身の救われない魂を嘆いてのことなのか、、、
しかし、すぐに「バカバカしい。」
そして最後に、「なーんてね。」
これらも彼女の行為が復讐であることを強く印象付ける。
しかし、もし、そこに森口の教育的配慮があるとしたならば、
それは、自身を守る為に、
見ないふりをしてきたものに向き合わせようとさせたこと。
けれど、それには大きな犠牲が伴ったのだが、、、
空気が読めない熱血教師、ウェルテル。
生徒の表面を信じて騙されてしまった青年。
かたや生徒達の本質、
利己的で狭い世界しか知らない彼らの本質を見抜き、
操る事もできた森口。
果たして、どちらか理想的な教師なのか。
私には、理想を打ち破られたウェルテルが、
この映画の最大の被害者の様に感じられる。
教師にとっては生徒の発言を信じるなということが、
教育現場を知ると言う事なのだろうか?
自身を守るために殺人を犯してしまった中学生。
幼さ故に、彼らは限りなく断絶している。
だから、お互いに理解もできない。
当然、相手を思いやることなど決してできはしない。
自分の事しか考えない。
個人と個人との絶望的な断絶が印象的な映画。